



明石焼(玉子焼)
- 住 所
- TEL
- 078-918-5080 (一社)明石観光協会
- URL
- http://www.yokoso-akashi.jp/
明石食文化の代表である明石焼。別名玉子焼とも呼ばれ、地元はもちろん多くの人々に親しまれている。板に乗せられ出てくる明石焼を特製のお出汁につけて食べるのが基本。口の中でほんわりとける柔らかい焼き上がりとコリッとしたタコの歯ごたえが絶品。明石を歩けば約70店舗のお店が点在している。

大蔵海岸公園・大蔵海岸海水浴場
- 住 所
- 明石市大蔵海岸通
- TEL
- 078-914-7255
- URL
- http://www.kobe-j.co.jp/okura/
公園から目の前に広がる瀬戸内海と全景を望める明石海峡大橋、その向こうに淡路島。開放的な大型公園。真っ白な砂浜が広がる大蔵海岸は夏になると、海水浴を楽しむ人たちで賑う。

魚の棚商店街
- 住 所
- 明石市本町1-1-16
- TEL
- 078-911-9666
- URL
- http://www.uonotana.or.jp/
地元の人から「うおんたな」の愛称で親しまれている明石の台所。約400年の歴史を持つといわれ、全長およそ350mのアーケードには明石鯛や明石だこをはじめとした昼網で揚がった新鮮な魚介類や練り製品など約100店舗が軒を連ねる。

明石城
- 住 所
- 明石市明石公園1−27
- TEL
- 078-912-7600
- URL
- https://www.hyogo-park.or.jp/akashi/contents/sisetsu/map01_2.html
別名「喜春城」と呼ばれる明石城は江戸時代に小笠原忠真によって築城され、平成31年(2019年)に400年を迎える日本100名城のひとつ。天守閣の役割を果たしてきた2基の櫓(巽櫓、坤櫓)は国の重要文化財に指定されている。

明石市立天文科学館
- 住 所
- 明石市人丸町2-6
- TEL
- 078-919-5000
- URL
- http://www.am12.jp/
東経135度日本標準時子午線上に建ち、日本の標準時を示す塔時計は明石のシンボル。国内現役最古のプラネタリウムでは、入館者の反応に合わせて投影機を操作し、肉声での生解説を行っている。




腕塚神社
平清盛の6番目の弟である薩摩守平忠度は寿永3年(1184)一の谷合戦(源平合戦)の際、西門の大将として一の谷の守備にあたる。 西門の一の谷は地形もよく、要害堅固、忠度は平家一門の中でも文武兼備の名将であるので他に陣所より少数であった。それが災いし義経の奇襲に合い陣は壊滅。 忠度は船で逃走し、駒ヶ林に向かい、須磨出て板宿に至り、そこから川沿いに下る。そこに義経の家臣岡部六弥太忠澄が後を追ってきて、駒ヶ林の北方で追いつき馬を馳せ並べて取り組む。忠度は忠澄を三度刺すが通らず、もう少しの所で忠澄の野党が忠度の腕を切り落とした。忠度はもはやこれまでと念仏を唱え念仏を唱え忠澄を左手で振り払い正座する。この時、忠澄は名を尋ねるが忠度は答えず、西に向かい座る。忠度は討たれ、鎧を調べると一巻の歌稿があり「旅花宿」という題で 「行き暮れて木の下陰を宿とせば 花や今夜のあるじならまし」とあり、忠度と書かれており、この時初めて忠澄は彼が薩摩守と知る。この神社に置かれてある木彫りの右手で患部に触れると病が治るといわれている。

稲爪神社
- 住 所
- 明石市大蔵本町6番10号
- TEL
- URL
- http://www.inadumejinjya.com/
西暦593年から628年に在位した推古天皇の時代に小千益躬(おちのますみ)という武将が創建したと伝わる。
この時代に、「三韓」から「鉄人」が日本へ侵攻。
そのリーダーは「鉄人」とか「鉄大人」と言い、全身を鉄の鎧でかため、正体不明であった。人を殺して食ったりもしようでその巨人が筑紫区(九州北部)を襲い突破。
これを迎え討つように命じられた、伊予国(愛媛県)の小千益躬(おちのますみ)。彼は一族の守り神「三嶋大明神」に祈ると、神様が現れ、「鉄人の弱みは、鎧兜で守られていない足の裏だから、これを矢で射よ」と言われた。
益躬は、降参したふりをして、朝廷へ向かう先導役となった。「ここから先、京都までこの私がご案内いたします」そして小千一行は明石の浜へやってくる。
明石の浜で鉄人達が休息をした時、空が突然曇り、稲妻がおき、おどろいた馬から鉄人が落ち、足の裏を見せてしまう。
小千はこの機を逃さず矢で足の裏を射て鉄人を仕留めた。リーダーを失った三韓軍は崩壊した。この時鉄人を射抜いた。この矢を「鬼ざしの矢」という。
益躬は、神の現れたこの地へお社を建て、守護神三嶋大明神を奉って「稲妻神社」と名づけ、後に名前は稲爪神社と変わった。稲爪神社から東に八百メートルの大蔵八幡町の八幡神社[元小千(越智)神社]に稲爪神社創建者の益射は祀られている。小千はこの手柄で伊予の国造に任じられたという。

休天神社
901(昌泰4)年、政治改革をしようとした道真は、藤原氏と対立して敗れ、大宰権帥に左遷される。大宰府への旅の途中で、道真公が讃岐守だったときに会った明石の駅長(うまおさ)の出迎えを受けます。
903(延喜3)、大宰府で公が亡くなったということを聞いた明石の駅長が、菅原道真公を祀る祠を建てたのが休天神社の始まりといわれています。江戸時代の1673(延宝4)年、この祠は明石城主・松平信之の手によって神社として祀られるようになりました。(享年58歳) 境内には赤穂浪士四十七士、間瀬九太夫正明が討ち入り祈願のために植えた「八房梅」がある。狛犬は明石市内最古(明石市の指定文化財)

柿本神社
- 住 所
- 明石市人丸町1-26
- TEL
- 078-911-3930
- URL
- http://www.kakinomoto-jinja.or.jp/
主なご神徳は、学問・安産・火災除、更には妻に捧げた歌も多くあり、非常に愛妻家であったことがうかがえる為、夫婦和合の神としてもお祀り致しております。御命日とされる旧暦3月18日(現在では4月の第2日曜日)には、本神輿に子供会の神輿も加わり、計5基のお神輿が練り歩き、境内は多いに賑わいます。明石海峡の風景をこよなく愛した、万葉を代表する歌人。はるか遠くの西国から都へ帰る途中に、明石までたどり着いた喜びを詠った歌として広く知られています。
人麻呂は宮廷歌人としてだけでなく役人の職を担っていたため、都と地方を行き来し、何度も明石海峡を旅したこともあって、万葉集には明石大門(明石海峡)を詠んだ叙情豊かな歌が数首おさめられています。
柿本神社の境内には歌碑が建てられています。

明石海浜公園
- 住 所
- 明石市二見町南二見8
- TEL
- 078-943-0873
- URL
- https://www.city.akashi.lg.jp/tosei/kouen_ka/shisetsu/koen-sports/koen/006.html
公園敷地面積 約199,000平方メートル、海に囲まれた緑いっぱいの総合公園です。プールをはじめテニスコート、自由広場や多目的に、また夜間でも使える運動場などのほか、レクリエーション施設やジョギングコースもあります。
市民の皆さんの身近なスポーツ、レクリエーションにご利用下さい。

明石市立文化博物館
- 住 所
- 明石市上ノ丸2丁目13番1号
- TEL
- 078‐918-5400
- URL
- http://www.akashibunpaku.com/
テーマ別に明石の歴史を展示。
アカシゾウの復元模型や明石原人の資料、明石ゆかりの源氏物語の紹介など興味深い展示品のオンパレード。
ぜひ一度ご覧下さい。

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掲載日:2016年12月02日
- 明石地区イベント案内
- この地域で開催されるイベントを随時ご紹介していきます。 情報の掲載までしばらくお待ちください。...... 続きを読む